シン道路交通法
2019.02.28更新
1か月の間に3回も更新したことなんて,果たしていつぶりのことだったのだろうか。更新しない私が悪いのだけれど。
いや,今日は何の話をするのかと言えば,ずばり道路交通法の話ですよ。私ははっきり自慢しますが,運転免許を取得して以来無事故無違反を継続し,生涯で1点すら失ったことがありません。この話をするとねぇ,なぜかみんないやーな顔をするんですが,その顔をしたいのはこっちの方ですよ。交通法規を守ってる側が何で気を使わんにゃならんのですかね。
そして,皆さんはお気づきでしょうが,某春一番の日にドアパンチを食らった私の愛車は年間1万キロ走ってしまっています。つまり,日頃運転していないからゴールド免許なのではなく,むしろ走りすぎているにもかかわらず無事故無違反なのですよ,私は。もっと褒められてしかるべきだと思うわけですよ。
そこで,日頃運転機会の多い私が考える,見ていて不愉快な気持ちになる交通違反を取り上げ,これを激しくディスることによって違反行為を抑制し,もって快適なドライブライフの実現を図るべく筆をとるに至ったわけであります。最後まで嫌な顔をせずにお付き合いください。
1.信号無視
これはねぇ,結構えぐい種類の違反ですよ。仮免許試験中にやったら指導員にブレーキを踏まれて一発アウトになるやつですよ。しかし,それでも世の中には横行している違反行為の代表例ですね。ここで信号の意味をおさらいしておきましょう(道路交通法施行令2条)。
まず,「青」信号の意味は「進むことができる」。誰も無理して進んでくれとは言っていないわけです。この点で問題になるのが,交差点の先が渋滞しているのに「青信号だから進まなきゃ。きゃっ。」と言って進行してしまい,その後信号が赤に変わった後に交差点の真ん中で立ち往生する車ですね。場所としては,「安浦2丁目」や「上町3丁目」,「本町3丁目」交差点などでよく目にする光景です。
次に,「黄」信号の意味は「停止位置から先に進んではならない」。簡単に言えば「止まれ」です。右折車のためにもいつまでも直進を続けるのはやめましょう。「大津」や「野比」交差点で顕著ですね。
最後に,「赤」信号の意味は「停止位置を越えて進んではならない」。よく見かけるのが,まだ信号が青に変わらないのにじりじりと停止線を越えていってしまう車です。締りが悪いってのは褒められるものではありませんよ。蛇口とか万年筆のキャップとかスピニングリールのドラグとか。まぁ,締めすぎはそれはそれで問題があるわけですが。
あと,矢印で青信号を表している信号機は慣れていないと気付きませんよね。しかし,ドライバーである以上信号機は常に見ていなければならないわけですから,やはり言い訳にはなりませんよ。「浦賀駅前」とか「Yデッキ」とかね。ただし,クラクションを鳴らすかどうかは悩む。あおられたくないし。
2.右折時のショートカット
これもねぇ,まあえぐいですよね。何がえぐいって,右折先で赤信号で停止しているときにはショートカット気味に突っ込んでくるもんですから,私の愛車の右前バンパーが持ってかれるんじゃないかという恐怖に襲われるわけです。「夫婦橋」とか嫌ですね。あと,三浦の「日の出」は本当に死ぬかと思う。
交差点の右折の際にはあらかじめその前からできる限り道路の中央に寄り,かつ,交差点の中心の直近の内側を徐行しなければなりません(道路交通法34条)。イメージ的には,交差点をほぼ直角に曲がればオーケーです。これができない人が多い,いやできる人をほとんど見たことがない。なんでできないかというと,そもそも右折を待っているときのポジションが悪いわけですよ。手前で待ちすぎてるから斜めに入っていかざるを得ないわけで,右折先の道路の少し手前位置で待っていれば,適切な右折ができるはずです。ちなみに,私はショートカットする人のことを「小回り君」と呼んでいます。
3.車間距離不保持
最近あおり運転が大流行中ですが,簡単に言うと車間距離が適切ではないわけですね。これについては,本人としてはあおり運転とは思っていなくても車間距離が近すぎるために前を走る車からはあおられているように感じる場合も多いと思われます。
車間距離については,「車両等は,同一の進路を進行している他の車両等の直後を進行するときは,その直前の車両等が急に停止したときにおいてもこれに追突するのを避けることができるため必要な距離を,これから保たなければならない。」(道路交通法26条)に定められているように,れっきとした交通法規で定められた事項です。
私自身は車間距離をかなり広くとる方ですが,それはその方がゆとりをもって運転できるからです。前の車に少しばかり近づこうが,別に目的地に早くつけるわけでもないですし,燃費が良くなるわけでもありません。まぁ,パシュートくらい近付いて走ればわかりませんが,日本代表に選ばれてるわけではないのですから,早晩追突しちゃうでしょう。
4.横断歩道がない場所での横断歩行者
この問題は少し厄介ですよ。というのは,見たところ横断歩道以外の場所を歩行者が横断することに対して罰則がありません。ただし,「歩行者は,車両等の直前又は直後で道路を横断してはならない。ただし、横断歩道によつて道路を横断するとき,又は信号機の表示する信号若しくは警察官等の手信号等に従つて道路を横断するときは,この限りでない。」(道路交通法13条1項),「歩行者は,道路標識等によりその横断が禁止されている道路の部分においては,道路を横断してはならない。」(同条2項)という規定は存在します。
歩行者の横断については,むしろそのタイミングについて物申したいですね。つまり「いやいや,そのタイミングじゃないと思うよ?」ということですよ。車が通っていない道路を横断するのは自由ですし,片側1車線のような狭い道路を横断することもタイミングによっては可能でしょう。そうではなくて,片側2車線+中央分離帯があるような幹線道路を横断したり,車が来る直前に飛び出してきたりするのは命知らずでしょう。よく見かけるのは,馬堀海岸の海岸沿いとかですかね。狭い道路で言えば,根岸交通公園のあたり。
しかし,悲しいかな。そういう人ってかなり多いんですよね。たぶんそういう人は大縄跳びとか向いてないでしょうね。だって,「そのタイミング」じゃないんですもの。大縄跳びは他の同級生からの冷たい視線くらいで済みますが,幹線道路の場合はそれでは済まないでしょうから,お互いのためにもやめましょうね。
5.バイクや自転車のすり抜け
三浦半島はいつから集団走行のメッカになったのでしょうか。週末になるとブブブブーンという効果音を発するお兄さん(お姉さんかもしれない)たちが徒党を組んで国道134号線を爆走しております。また,他方では,色とりどりの体にぴったり付着する化学繊維でできた服を身につけたお兄さん(お姉さんかもしれない)がバイクよりも高いんじゃないかと思われる華奢なバイシクルに乗って,颯爽と我が愛車の横を通り過ぎていきます。
この問題については,「追い越し」にあたる場合は,右からしか追い抜いてはいけない(道路交通法28条1項)なので,車の左側を通過することは違反になりますが,追い越そうとしている車が停車している場合は追い越しにあたらないので法律上は問題ないということになります。
そうはいってもねぇ。ただでさえ狭い三浦半島の道なのにすり抜けをされるのはいい気分ではないですよ。もしボディカラーとは違う色に塗られている愛車の左サイドミラーに接触でもされた日には,冷静な判断ができるかどうか自信がありませんよ。ただし,派手にすっころんで苦しみのさなかにいるバイシクルの人がいた場合には,「大丈夫?」と声を掛けるくらいの優しさは持ち合わせています。
今日もとりとめのない話になってしまいましたね。でもそれが売りですからね。みなさんもちゃんと交通法規を守って,ヴェルクよこすかで更新時の講習を受けないようにしてくださいね。なお,横須賀警察署で免許の更新をしたときには視力検査の係員から「日頃よく来てますよね。」と声を掛けられました。接見に行く私の姿を見ていたようですね。ご安心ください。今度言葉を交わすときは平成35年ですよ。
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第三者委員会万歳
2019.02.19更新
ずいぶん昔のことになるが,その日当番弁護の担当日だった私は,弁護士会刑事弁護センターからの出動要請を受けて横浜地方検察庁横須賀支部へ赴き,弁解録取書を作成し終えたばかりの被疑者と接見した。
弁護士との接見を要請した理由は,別に私選弁護人に就任してほしいというものではなく,友人へ電話をかけてほしいというものと今後の見通しを教えてほしいというものであった。横須賀における当番弁護接見はこのパターンがとても多いが,身体拘束直後の被疑者にとっては外部との連絡を取りたいと思うのが当然であるし,そのように弁護士を使ってもらうことは全然構わない。
あまり詳細を覚えているわけではないが,私は知人への連絡を約束し,また聴き取った事実に基づいて今後の見通しについて説明を行った。最初はふんふん聞いていた被疑者だったが,問題はここからだった。彼(彼女かもしれない)は私に向かってこう尋ねた。
「弁護士さんとしての説明はわかったんですけど,そうじゃなくて個人的にはどう思いますか。」
この質問は,あまりにも予想していなかったので,全然意味が分からなかった。彼(彼女かもしれない)は,私に対して,弁護士としての意見を聴きたいのではなくて個人としての意見を聴きたいのだという。そこで私は答えた。「私を構成する要素から弁護士としての要素を取り去ったら,私個人は法律のことには詳しくないので全然わかりません。あと,私はあなたの友人ではないので,個人的なアドバイスをする立場にはありません。」
いやぁ,そのときの彼(彼女かもしれない)の反応の困った表情にはこちらも困らされた。彼(彼女かもしれない)は必死だった。「いや,弁護士さんって色々立場とかあるから言えないこともあるかもしれないじゃないですか。そうじゃなくて,先生個人としてはどう思うのかっていうのを知りたいんですけど。」
私はさらに困惑した。「先生」と「個人」がすでに矛盾しているし,要するに何を聞きたいのか全然わからなかったのだが,何度かやり取りしているうちに何となく見えてきた。つまりは「そういう建前じゃなくて本音を聞きたいんすよ。」ということなのではないか,と。
これは困った。目の前にいる人は,「人には本音と建前というものがあって,日頃は建前を言って生きているけれど,本当に大事なのは本音であって,自分は今まさにその本音を聞きたい。」と言っているようだった。そして,そのような考え方は私の中には一切ない考え方だった。
「本音を話す」という標語は,一見するととてもいいことを言っているようであるが,それには「本音を話すことはいいことだ。」という価値判断が前提になければ理解できない。しかし,本当にそうだろうか。ただ,自分にとって都合のいい話を「本音」と呼び,都合の悪い話を「建前」と呼び分けているだけではないだろうか。そうであれば,「本音」と「建前」という区分に意味はない。
または,歯切れのいい言葉を「本音」といい,歯切れの悪い言葉を「建前」と呼んでいるのであれば,現状認識に対する甘えがあるように思う。物事は全部が全部きれいに割り切れるわけではないのだから,歯切れがいいことが良いことでもなく,はたまた歯切れの悪いことが悪いことでもない。
弁護士をしていると持って回ったような煮え切らない態度をとらざるを得ないことがあるが,それはやむを得ずやっているのであって,あえて「本音」を隠そうとしてやっているのではない。例えば,事件の見立てについて「一般的には大丈夫だと思いますけど,相手のあることなのでやってみないとわかりません。」と答えざるを得ないことがあるが,回答について責任を持とうとするとどうしてもこれくらい曖昧な表現になってしまう。逆に,「私に任せておけば大丈夫。必ず勝てますよ。」と答えることは嘘になる(弁護士としての品位も害する。)。
また,私自身の性格として,「正直村の住人」と呼ばれるほど嘘が嫌いなので,少しでも断定できないことがあると考えないと答えられなかったり,答えたとしてもまわりっくどい内容になったりする。江戸っ子からは嫌われるが,別にお江戸に暮らしているわけではないので構わない。
まぁ,結局何を言いたかったのかというと,人と話すときは自分に都合のいい話だけ聞こうとしないことと,弁護士と話すときは多少の曖昧さを含んだ内容にならざるを得ませんよということですね。いえーい,予防線がっちり張っといたから,今後の相談はスムーズに進むぞー。
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開業5年目のご挨拶
2019.02.01更新
ゆく川の水は絶えずして、しかも元の水にあらず。あの頃の初々しい自分と5年分のブレーキダストを浴びた自分も同じ人間ではないのだなあとしみじみ思う今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
当事務所は、おかげさまで開業5年目を迎えることになりました。はじめはどうなることかと思っていた事務所運営ですが、困ったときに誰かが助けてくれるという激運の持ち主であるという属性だけで、今日まで生き永らえてまいりました。
何やら去年の同時期に書いたブログを見返してみると、一昨年は充実した1年間を過ごしていたようですね。去年はよくわからないままに1年間が過ぎていったという感想なので、特に申し上げることはありません。残念!
また、弁護士登録をしてからは、丸5年が経過し、6年目に突入いたしました。思えば、登録後1年で早々に事務所を退所してしまい、まさしく裸一貫でやってきたわけですが、人間何とかなるものですね。いや、なってないような気もしますが、少なくとも生きてはいます。
本来ならば、今後の5年間・10年間の抱負を述べるべきところなのでしょうが、私自身はこれまでの5年間の疲れがどっと出ている状態でして、毎日体が重くて仕方ありません。ドラえもんがどら焼き食べたくないと言っているような感じ。
ですので、常時フルパワーで活動することは難しいのですが、ここぞというときにはフルパワーが出せるようにしますので、何卒温かい目で見守っていただければ幸いです。
さて、新しい元号は何になるのかなぁ(平成の間に次の記事を書かなかったときの保険)。
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刑訴規則199条の13第2項から考える日常会話
2018.10.24更新
会話というものは,本来はキャッチボールであるはずなのですが,世の中には相手の反応を考えていないような会話をする人がいます。
今日は,そんな世にも奇妙な物語です。
1.訴訟関係人は,次に掲げる尋問をしてはならない①-威嚇的または侮蔑的な尋問(刑訴規則199条の13Ⅱ①)
この会話をする人は,基本的には私に対して敬意を抱いていない種類の方々です。それは,私が若かったり,まわりっくどい話をしたり,アクリル板に阻まれて心を開くことが出来なかったりするからなのですが,中には,弁護士という職業自体に憎悪を抱いている人もいます。経験的には,午後9時過ぎの飲食店でからまれる際によく見るタイプですね。
使用例
・「弁護士ってのはそんなに偉いのか。」
・「お高くとまってんじゃねぇぞ。」
・「朝日新聞読んでる奴なんてのはロクな奴がいない。」
・「これで示談できねぇってんなら他に何が出来んだよ。」
・「金がないから払えないっていうけど,あんたが本人の金をくすねてんだろ。」
2.訴訟関係人は,次に掲げる尋問をしてはならない②-すでにした尋問と重複する尋問(同199条の13Ⅱ②)
これもなかなかに遭遇率が高いタイプです。しかし,みんながみんなわざとやっているわけではなく,本当に以前のやり取りを忘れてしまっていることもあるので,基本的には優しく接したほうが良いでしょう。私自身も最近物忘れが激しくなってきて,同じ話を何回もしてしまいます。まぁ,原因は酒の飲みすぎであるとわかっているので,まだ安心です。
使用例
・「弁護士費用っていくらかかるんでしたっけ。」
・「(1日おきに)現在の進捗状況を教えてほしいんですけど。」
・「不起訴になれば,事件自体がなかったことになるんですよね。」
・「(土日に電話を掛けてきて留守電に)先生いらっしゃらないんですか。」
・「弁護士のカドイさんお願いしたいんですが。」
3.訴訟関係人は,次に掲げる尋問をしてはならない③-意見を求め又は議論にわたる尋問(同199条の13Ⅱ③)
最近悩まされているのはこのタイプです。傾向を探ってみたのですが,老若男女問わずこういう話し方をする人はいます。私自身がこういう質問を全くしないので,どういう気持ちで人に意見を求めているのかわからないのですが,何となく現実社会であがいているような印象は受けます。私は,特に社会に期待もしていませんし未来に期待もしていないので,人が何を考えているのか頓着がないのかもしれません。
使用例
・「そんなことおかしいと思いませんか。」
・「こんなひどい法律についてどう思いますか。」
・「彼女はどういうことを狙ってこんなことするのかねぇ。」
・「これはあてつけだわ。そうは思いません?」
・「人は神に創られたときから原罪を有しているのではないですか。」
4.訴訟関係人は,次に掲げる尋問をしてはならない④-証人が直接経験しなかった事実についての尋問(同199条の13Ⅱ④)
この質問は,上の「意見を求める尋問」とも重複する部分があるのですが,誰かの立場になってものを考えるなんてことはフィクションです。だからこそ,「お気持ちはわかりますよ。」なんてことは極力言わないようにしていますし,実際他人の気持ちがわかるなんて言うことは一種のエゴなのではないかと思います。あと,弁護士だからと言ってすべての事件を扱ったことがあるわけではありませんので,過度の期待を抱くことも控えていただきたいなぁと思う次第であります。
使用例
・「先生の豊富なご経験からすると,どういう結果になりますでしょうか。」
・「実刑になる確率を教えてください。」
・「あなたが彼の立場だとしたらどう思いますか。」
・「無罪判決を勝ち取ったときはどんな気持ちでしたか。」
・「貸与金の返還そろそろ始まっちゃうよねぇ。」
久々の投稿がこんな内容で申し訳。
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問題演習2
2018.07.19更新
問題・次の事例を呼んで,設問に答えよ。
横須賀市で仕事をしているT弁護士は,当初,港区新橋に本店を構えて,関東圏だけで数十店舗の支店を展開するというイノベイティブでインクレディブルな弁護士法人に勤務していたものであるが,世の中によく言われる(ごく一部の人間との)人間関係に悩み,「横須賀支店長」という看板を放り出し,「世捨て弁護士」として生きていくことを決めた。
しかし,T弁護士は,それまでの間に十分な金額の開業資金を貯めることができなかったため,小中学校の友人が勤務する某家電量販店を訪れ,旧友であることを最大限に利用した結果,破格の値段で電話機やファックス付き複合機を購入することができた。このファックス付き複合機は,インクがすぐになくなってしまうことを除けば,印刷スピードや操作性において何ら問題がなかった。
その後,開業から数年が経ち,上記ファックス付き複合機の部品の劣化が徐々に進行したことによって,近年,印刷時に白い筋が入るようになった。T弁護士は,だましだまし同ファックス付き複合機を使用し続けたものの,早晩,某ポルコロッソがミラノの工場に愛機の修理を出しに行く最中に某アメリカ人が操縦する飛空艇に撃墜される事態になることは火を見るよりも明らかだった。
そこで,T弁護士は,最近話題の大容量インクタンクを備えた新型ファックス付き複合機を購入することとし,若かりし頃からよく通っている横浜駅西口にある某大型家電量販店を訪れた上,プリンター売り場にいる店員に対し,①事務所で使うのでカラーも含めて大量に印刷する必要があること,②ファックス機能が付いていることは必須であること,③ファックス番号を確実に打ち込むために,タッチパネルではなくダイヤルが付いていた方が好ましいことを告げた。すると,同店員は,上記①~③の機能をすべて充たしている機種(以下,「本件複合機」という。)を紹介してきたことから,T弁護士は,本件複合機の購入を決めた。また,本件複合機は,型落ちの機種だったため,他の複合機よりも価格が抑えられていた。
その際,同店員は,T弁護士に対し,「結構かさばりますけど,持って帰りますか?」と尋ねた。T弁護士は,一刻も早くファックス付き複合機の更新を行いたかったし,また,修理がすっかり終わった自動車で来店していたこともあったことから,「車で来ているので,持てない重さでなければ持って帰ることにします。」と答えた。
すると,同店員は,「少しお待ちください。」と言って別の場所から商品を持ち出してきたうえで,T弁護士に対し,「このくらいの重さなら持って帰れると思いますけど。」と告げた。T弁護士は,実際にその商品が入った段ボールを持って確認してみたところ,7kg程度であったため,購入後にそのまま持って帰ることにした。
同店員は,商品に取っ手をつける作業を行った上で,T弁護士をレジに案内した。T弁護士は,クレジットカードで決済を行った上で,横浜駅西口地下駐車場まで商品を運び,修理が終わっている愛車のラゲッジルームに商品を乗せて事務所に戻った。
T弁護士は,事務所に着くとすぐに商品が入っているダンボールを開封し,設置作業を進めることにした。商品保護のために取り付けられているテープ類を取り外し,インクタンクにインクを入れようとしたとき,T弁護士は,黒色インクの充填口しかないことに気付いた。そんなはずはないと他の部分を確認すると,ファックス時に使用するダイヤルはなく,そもそもモデムを差し込む場所もなく,ただのプリンター(以下,「本件プリンター」という。)であることが判明した。
なお,その後,T弁護士は,同家電量販店と幾度もやり取りを行ったものの,結局一度も謝罪の言葉はなく,なぜこのような事態が発生したのかも不明なままであったが,本件複合機と本件プリンターの型番が似ていたこと,商品のダンボールには商品の写真がプリントされていたものの本件複合機と本件プリンターの外見が酷似していたことなどから,同プリンター売り場の店員が商品を持参する際に謝って本件プリンターのダンボールを持ってきてしまったものと結論付けた。また,本件複合機と本件プリンターの価格にほとんど差はなく,クレジットカード決済を行ったこともあり,T弁護士は,事務所でダンボールを開封するまでの間,本件複合機と本件プリンターが入れ替わっていることには全く気付かなかった。
設問1.上記事例におけるT弁護士と某家電量販店との間の法律関係及びその効力について,意思表示理論にも十分留意した上で,詳論せよ。なお,民法の一部を改正する法律(平成29年法律44号)にも言及すること。
設問2.その後,T弁護士は,本件複合機と本件プリンターを「交換」することで某家電量販店と合意したが,クレジットカードの決済記録を取り消すために,休日返上で横浜まで出向くことになった。T弁護士は,某家電量販店に対し,何らかの損害賠償請求をすることが可能か,論ぜよ。
設問3.T弁護士は,今回の事件について,愛車が壊れてしまったときよりもはるかにショックを受けているが,いまのT弁護士の感情について,300字以内で説明せよ。
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「スタジオ法律事務所」宛の荷物はいまだに届く
2018.04.25更新
またしても前回の投稿から長い時間が経ってしまいました。
その間,大雪が降ったり,突然暑い日が続いたり,また急激に寒くなったり,今年の花粉量を楽しんでいたりしました。
いまのところは,のどかな春でございます。
さて,ゴールデンウイークが近づいていますが,「どこか旅行に行ったりしますか?」という問いに対しては,ここ数年「いや,近所をお散歩するくらいです。」と答えて,質問者を困惑させ続けています。
実際近所をお散歩するわけですが,本当にただ歩き続けるだけで,どこかお店に入ったり,ご飯を食べたり,自撮りをしたりすることはありません。数時間歩き続けるだけです。
ただこれは自分としてはかなり楽しいイベントなので,今年もやるかもしれません。あの遠回りしすぎて家まで帰ってこられないんじゃないかという焦燥感が「トロッコ」感をかきたてて尚一層興奮しますね。
今日のメインイベントについては,ゴールデンウイークが近いので,何か楽し気な記事を書こうと思ったのですが,長らく触れてこなかった「アダジオ法律事務所」という名前の由来について語る日が来たようです。
「アダジオ」とは,イタリア語の「adagio」のことです。「adagio」は,バレエ用語としても用いられることがあるようですが,私が意図していたのは,音楽用語としての「adagio」です。速度記号の中では,「アンダンテ」と「ラルゴ」の間の速さで「ゆるやかに演奏せよ」,テンポとしては遅い方に入ります。この「adagio」が日本語に訳されたときに,「アダジオ」と表記されるようになったと理解しています。
私が前の事務所を独立して新た敷く事務所を開業しようと思った時に,特に考えていたことは「大量に事件を受任しない」ということでした。それは,いわば前事務所へのアンチテーゼなのですが,依頼者の方から電話がかかってきたときにすぐに誰だか把握できるくらいのサイズ感で事務所をやってみたかったということです。
そのようなコンセプトで事務所の開業準備を始めたわけですが,弁護士会に事務所名を登録しなければならない関係から,何よりも優先して事務所名を決めなければならなくなりました。それで当初は,いろいろな名前を考えました。別にこれを言っても問題ないと思いますが,私はカタカナの事務所にしようと決めていたので,英語,フランス語,ドイツ語,ラテン語など様々な言語のいい感じの意味の言葉を探したのですが,検索してみるとどの言葉も,すでに法律事務所名や会社名に使われていたりして,なかなか事務所名を決められずにいました。
(ちなみに,「別にかぶっててもいいじゃん。」というご意見はあろうかと思いますが,私自身は人とカブることが大嫌いな性格なので,人のいないところ,やっていないところを探してさまよっていたわけです。)
そんな中,あることで「アダジオ」という言葉にたどり着くわけですが,それには2つの出来事が関係しています。
1つ目は,2012年に立原道造詩,西本龍太朗作曲による「混声合唱のための『アダジオ』」の初演に参加したことです。この曲は,長年神奈川県立横須賀高等学校で教鞭をとられ,2011年に急逝された湯川晃平(ゆかわ・あきひら)先生の追悼のために作曲された楽曲であり,私自身も約10年にわたって湯川先生から薫陶を受けた人間として,ステージに参加させていただきました。
いま思えば,あの頃の私は人間生活を経験していないどこまでも青臭い存在で,その頃のことを思い出そうとすると少なからぬ痛みをわが身に想起させるのですが,この『アダジオ』を歌っていた時の記憶だけはなにかつきものが落ちたような,そんなカラッとした感情が残っていたのが印象的でした。
2つ目は,宮崎駿監督作品「もののけ姫」劇中に登場する,久石譲作曲の「死と生のアダージョ」の存在です。私の人生の中で,人生そのものを変えたと言っていい作品群はいくつかありますが,その中でも1997年に公開された「もののけ姫」が私に与えた影響はあまりにも大きかったと思います。それまでの私の人生は,どこか曇った世界で見通しの悪い一本道を訳も分からず歩いていたようなものでしたが,「もののけ姫」を見てからは世界が晴れ上がって,初めて世界の形を認識したような実感を得たものです。
その作品の中でも「死と生のアダージョ」は,私が特に気に入っている劇中曲であり,親にねだって買ってもらったサウンドトラックはCDが擦り切れるほど聞きました(まぁ,実際には擦り切れないんでしょうがこれは比喩です。)。その後,MP3形式のウォークマンが発売されてからは,歴代のウォークマンに収録し続け,いまでも私の手元のウォークマンには「死と生のアダージョ」が入っています。この曲も物語の終盤の暗澹たるシーンで流れていて,それ自体はあまりに悲しいシーンなのですが,映像の美しさと恐ろしさのせいなのか,ただただ曲に聞き入ってしまう凛とした曲です。
こうして,私の中で一人一人の事件を丁寧に処理したい=ゆるやかに演奏するというコンセプトと「混声合唱のための『アダジオ』」及び「死と生のアダージョ」のイメージが一致した結果,「アダジオ法律事務所」という名前に決めたというわけです。(開業当時は,「アダジオ」という名の付く法律事務所も会社もなかったことも決めた理由としては大きかったと言えます。)
なお,なぜ「アダージョ法律事務所」にしなかったのかといえば,字面だけ見ると「アヒージョ」と混同されるおそれがあるし,数年前に「アデージョ(艶女)」という少々品のない言葉が流行ったこともあって,日本人に発音しやすい「アダジオ」の方が良いのではないかと判断したからです。
ただ,その結果として,ある宅配業者のおじさんは,うちの事務所に来るたびに「スタジオさん?」と聞いてきますし,ある広告でお世話になっている会社の担当の子からは「『ア』と『ス』って遠目だと似てるから(間違えられるん)じゃないですか?」というなかなかにパンチの利いた貴重なご意見を賜ったりと「アダジオ」の方もなかなか大変です。あと電話では絶対に聞き取ってもらえません。
そんなわけで,エッジの利いた我が「アダジオ法律事務所」なのですが,今後どこかの事務所に吸収合併されない限りは,この名称を使い続けていこうと思っていますので,今後ともご愛顧のほどお願い申し上げます。
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新年賀詞交換会
2018.01.26更新
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
えっ,もう1月も終わりそうなのに,何を言っているのかって?
正月っていうのは,旧暦一月の別称ですから,1月いっぱいまでは正月です。
開き直る前に内容のあるブログを書けって?はいはい,わかりました。
昨年1年間を振り返って思うのは,結構いろいろ忙しかったなぁということでしょうか。いや,誰に聞いてるんだというツッコミは甘んじて受け入れますが,昨年のこととなると記憶がかなりあいまいになりますよね。それでは,あいまいな記憶に基づいて昨年1年間をまとめてみましょう。
1.成年後見事件の爆発的増加
成年後見事件は,一昨年から担当していましたが,昨年は新件依頼がひっきりなしにあって,あれよあれよという間にかなりの数の案件を抱えることになりました。成年後見は,開始時が最も忙しい事件類型でして,キーパーソンから預金通帳を引き継いだり,各金融機関や年金事務所や地方自治体に後見届出をしに行ったり,不動産取引をやらされたり,申立人が原告になって訴えられたり,被後見人の入る施設を探したり,それはそれは目が回るほどの忙しさでありました。
個人的に最も記憶に残っているのは,夏の良く晴れた灼熱地獄のある日曜日,葉山まで車を走らせて被後見人が借りていた家の鍵を返却に行った時のことでしょうか。大家さんの家にあがらせてもらったのですが,慣れない正座を5分しただけで足が完全にマヒしてしまい,大家さんがお見送りしてくれたのに車のアクセルをなかなか踏めないという楽しい事態に陥りました。
あとは,市役所の各課を回る機会がたいへん増えたのですが,弁護士であることがわかると急激に態度が軟化する人と弁護士であることがわかっているのに態度がカッチカチのまま(むしろ不快感を前面に押し出してくる)人がいるということがわかり,とても勉強になりました。私個人の意見としては,べつにへりくだる必要は全くないと思いますが,こちらとしてはできる限り分かりやすく事案を説明しようと努力してますので,そういう意味で親近感とか好感とかを醸し出してくれるとお互い仕事がやりやすいのになぁと思います。
2.刑事事件のさらなる充実
弁護士登録当初から刑事事件には比較的熱心に取り組んでいたと思いますが,昨年は,私選弁護があったり,本気の否認事件があったりと,私の刑事弁護人としての経験値が大幅に増えるような事件が多かったように思います。
私選弁護のうち1件は,被害者の方との示談交渉で何度も冷や汗をかくという貴重な経験をしましたし,もう1件は,当番弁護士として出動して勾留却下決定をもぎ取った上で,不起訴処分まで手に入れるという我ながら出来すぎる結果を獲得することができました。
否認事件は,取調べを担当した警察官や鑑識の警察官ら7名を証人尋問するというあまりにも壮大な内容となり,弁論要旨を書き始めたはいいものの12時間が経過しても書き終わらず,期日当日の朝7時半から事務所に詰めて2時間書きっぱなした結果,プリントアウトする時間ギリギリを残して何とか24枚書き終えたという熱の入りようでした。結果としては,満足のいくものではありませんでしたが,判決書自体も20枚という重厚な内容だったので,裁判官も真剣に向き合ってくれたことに感銘を受けました。
ちなみに,内容が真面目過ぎたので少しティーブレイクすると,さすがの私でも刑事裁判の日に着ていく服には気を付けています。例えば,今日の服装は,青いチェックのスーツに緑と紫のチェック柄のネクタイに青と赤のツートンカラーのネクタイピンをして緑色のコートとレインボー色のマフラーを着用するという,字面だけ見ると最高にサイコな服装になっておりますが,刑事裁判の日は,黒かチャコールグレーのスーツに青か茶色のネクタイをして黒いネクタイピンをしています。なんだ,やればできるじゃない。
3.不貞慰謝料請求祭り
世間は,週刊誌の記事に踊らされたり踊らされたことを恨みに思って逆切れしたりいろいろしておりますが,私のところにも不倫にまつわる相談が次から次へと舞い込んでまいりました。流行を肌で感じる機会など,地方都市横須賀に住んでいたらなかなか訪れないのですが,こと不倫に関しては都会も郊外も関係なかったようです。
また,不貞慰謝料請求に関しては,訴える側も訴えられる側も双方相談に来るという盛況ぶりで,久しく浮いた話と縁のない私にとっては,「あー,一部の人間が恋愛を独り占めしてるから私にはお鉢が回ってこないのね。」と妙に納得する結果をもたらしました。案件としては,懐に攻め込まれている苦しいものもありますが,概ね当方の主張通りことが運びましたので,自分としても事務所の経営としても良かったのではないかと思います。世間の皆さんにはじゃんじゃんやっていただいて弁護士の事件数を増やしてもらいたいものですね。いや,冗談ですよ冗談。
何か他にもいろいろとあったようなきがするのですが,今日はこんなところで。
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語弊を怖れずに言えば
2017.11.07更新
私は,「弁護士」という仕事をしていますが,世間様からの印象がとにかく偏っています。
どうにかしたいものだと思い続けて早3年以上が経過していますが,いまだに解決策を見いだせないままです。
早速,弁護士に対する発言良くあるやーつを見ていくことにしましょう。
1.「お金持ってるでしょ」
はい。こういう発言する人の近くには寄りません。
2.「モテるでしょ」
はい。こういう本気で言っているんだかひがみで言ってるんだかわからない人とも仲良くしません。
3.「弁護士とか言ってても偉そうにしてるだけで大したことないよね」
まず言いたいのは,私がいつ偉そうにしていたのかということです。
いや,待てよ。自分自身のことじゃなくて「弁護士」さんのことか。確かに,「弁護士」さんの中には偉そうにしていた人もいるかもしれないなぁ。
しかし,こういう発言をする人は自身の個人的感情が入り込みすぎています。
この発言の前提には,「弁護士は偉そうにしている」という部分と「思っていたほど大したことない」という部分の2つの部分が存在します。
「弁護士は偉そうにしている」という部分について,昨今では,偉そうにしている先生はほとんど見当たりません。いまだに偉そうにしている先生は本当に偉い先生なので問題ありませんし,本当に偉いのであれば「偉そうにしている」とは表現しません。そうすると,「偉そうにしている」という部分は,観察者による歪んだ主観が多分に含まれてしまっています。
次に,「思っていたほど大したことない」という部分は,個人の潜在意識の中で弁護士に対する過分な期待を持っていたものの,現実は思っていたほどの成果は挙げられなかったという意味にとるべきでしょう。この意見には,従前弁護士に対する憧れのような感情を抱いていたところ,何らかの原因によってそれが裏切られてしまった事態を意味しているのではないでしょうか。少なくとも,私がこのセリフを面と向かって言われた際の感想は同様のものです。
4.「いつもは汚れ仕事なんてやらないのに大変だね」
これは,上記3とは逆方向のベクトルです。弁護士に対するある種の尊敬を抱いていただいていることはうれしいのですが,実社会の中ではまだまだ若手と言われても仕方のない年齢であるにもかかわらず,弁護士というだけでまるで腫れ物に触るかのような扱いです。これは寂しい。
また,東京の一等地でオフィスビルを見下ろしながら午後のティータイムを楽しんでいる先生にはわからないかもしれませんが(あくまでイメージですのでそんな弁護士はいないと思いますが),潮風で鉄柵がすぐに錆びてしまう土地で弁護士をやっている身からすれば,弁護士の仕事というのはそんなに優雅なものではありません。よくわかりませんが,私のカバンはとても重いです。毎日のように背負っていたら,スーツが擦り切れてしまいましたとさ。やっぱスーツは作業着だと思って買わないとダメですよね。靴もすぐ靴底がはがれちゃいます。いまの靴は,アロンアルファでとめて使い続けてます、
まぁ,私が言われるセリフは大体上の4つのどれかだと思います。
【番外編】
5.「法律の条文って全部覚えてるんですよね!!!」
回答は皆様の想像にお任せします。
投稿者:
ディディディディーケイド
2017.10.11更新
気付けば前回の記事から半年くらいたっているんですかね。半年なんて時間はあっという間に過ぎますよね。
ほら,この年になると半年なんてものの数に入らないじゃないですか。赤ちゃんパンダの半年はそりゃあビックリするくらい成長しますけど。
そして,このブログ記事は,当初は暇になったら書いていたわけですが,おかげさまで暇な時間がどんどん少なくなってくるわけですね。誤解を招くといけないので説明しておきますが,別に儲かってるわけではないです。ただ忙しいだけです。「忙しいなら依頼するのやめちゃおうかな。。。」とかそういうのやめてください。
ただし,忙しいからとか理由をつけているといつまでもブログを書かないわけですよ。そうすると,半年なんてかわいい時間の流れ方じゃなくてすぐに1年,2年は経ちますよ。それは,なんとも寂しいじゃないですか。
というわけで(どういうわけで?),モアーズ横須賀店20周年記念,10年前と20年前の世界を振り返ってみましょう。
まずは,今から10年前の世界。時は,平成19(2007)年です。
当時の総理大臣は,途中までが安倍さん,途中からが福田さんです。いい感じで自民党政権が傾き始めた頃ですね。いけないいけない。政治的発言は危ない。
われらが最高裁長官は島田仁郎さん。在外国民違憲訴訟や婚外子違憲訴訟などでは,多数意見を構成し,優れたバランス感覚をお持ちの方だと思っていました。
流行語大賞は,「どげんかせんといかん」と「ハニカミ王子」。「どげんかせんといかん」の方は,途中から「せんとくん」のイメージとごっちゃになって,「どげんかせんとくん」という意味不明な言葉として覚えてしまっています。私としては,もはや「どげんかせんとくん」でいいです。ハニカミ王子についてはノーコメントで。
私は当時大学3年生だったわけですが,私のようにつまずくことなく大学生になった同級生は,就活の真っただ中にあったわけです。当時は,リーマンショック直前期のいわゆるミニバブル時代であり,売り手市場もいいところ,1990年代の就職氷河期はどこへやらという空気感でした。
ちなみに,私は4年時の労働法の授業の時(再々履修)にあまりにも内容がわからず,「私の周囲の就活生たちも労働基準法などには苦しめられている」という「4年生だから単位ください」アピールをしたところ,かろうじてCをもらったという過去があります。そんな人間でもその後に努力すれば弁護士になれるんですから,みなさんも夢をあきらめないで頑張ってほしいですね。どの口が言うんですかね。
メンズファッション界には,ジャケットを多用したきれい目モードの時代が到来し,別珍ジャケットが大ブームとなりました。私の同期に紫色の別珍ジャケットを着ていた男がいましたが,次第に色が褪せていったのには哀愁を感じました。
私自身は,渋谷や原宿に出没するようになり,なけなしの金をはたいてチェックのジャケットを買う日々が到来します。いやぁ,背伸びしてますねぇ。過去の自分を思い返しても恥ずかしさを感じないのは,感情が死んでいるからでしょうか。
それまで毎年参加していた横高音楽部の定演には,はじめて不参加となった年でもありました。理由ははっきり覚えていませんが,サークルとかサークルとかいろいろあったんでしょう。今となってみれば,その時の自分自身の判断は間違っていなかったように思います。
サークルは,法政大学国際法研究会という学術団体に所属していましたが,幹部学年としてアカデミックフォーラムという研究発表大会を行わなければならなくなり,「国際環境法」という壮大なテーマで様々な準備をしました。なんだかんだ言って青春だったんでしょうね。何を食べても太らなかったのは,ちょうどこの頃までではないでしょうか。
モアーズ横須賀店10周年記念の記憶は,少しだけあります。その頃,バイトもしていなかった私は,慢性的な貧困に悩まされていました。じゃあバイトしろよというツッコミは,すでに100万回聞いていますのでもういいです。たぶんですが,11月に行われるアカデミックフォーラムに備えて細身のスーツを買ったのではないかと思います。いやwwww細身ってwwww。その細身のスーツは,平成25年頃までは体が入った記憶がありますが,その後は体の相性が悪くなったので行方不明です。
さて,20年前の世界は,平成9(1997)年です。
当時の総理大臣は,橋本龍太郎さん。橋龍かっこよかったなぁ。特に,日米貿易摩擦の時に通産相としてアメリカと折衝していた時はかっこよかった。爆笑問題の日本言論でも取り上げられていて,後に中学生の時に読んだ記憶があります。
最高裁長官は,途中まで三好達さんで,途中から山口繁さん。三好さんは,愛媛玉串料訴訟の時の反対意見が印象的でした。内容はともかくとして,自らの心情を吐露したのは,裁判官としてそんなに非難されることではないように思います。山口さんは,著名な違憲判決がなかった時期ということもあり,ほとんど印象がないです。
流行語大賞は,「失楽園」。当時小学6年生だった私が映画館に見に行くはずもないのですが,その後ドラマ化された際には,古谷一行と川島なお美が平日の夜10時にしては濃密すぎる濡れ場を演じていて,少年のこころには過激に過ぎたように記憶しています。
また,この年の漢字は,「倒」。戦後最大の倒産と言われた山一証券の倒産劇を少年だった私も鮮明に記憶しています。社長の言う通りですよね。社員は悪くないんですよ。ただ,もっと言いたいのは,社長も就任したばかりなので,社長も悪くないんですよ。あの場にいた人はみんな悪くないんですよね。悪いのは,表に出てこない人たちです。
特に私の経歴を隠す必要もないですが,当時の私は横須賀市立浦賀小学校の6年生です。小学校の6年間って長いですよね。いいかげんにあの長ったらしいテンポでいつまでも終わらない校歌を歌うのにも辟易としてきた年頃です。
私の幼い頃というのは,どちらかというと暗黒時代で,その暗黒時代は小学1年生に始まり,小5・小6の小休止をはさんで中学3年生まで続きます。稀代のリベラリストであることを自負する私としては,学校の集団生活についていけなかったというか,周囲のクラスメイトとそりが合わなかったというか,教師の言っていることが意味不明で理解できなかったというか,とにかく意味のない規則に従う必要性を最後まで理解できなかったというか,そんな感じの幼少期でしたので,小学校や中学校というところは監獄だと思ってましたね。はい。
そんな中でも,小5・小6のクラスは,比較的リベラルな空気の漂うクラスだったので,のびのびと学校生活を送ることができました。そういう意味では,1997年は私にとって幸福な時代だったと思います。
小学6年生の私に最も影響を与えたのは,映画「もののけ姫」の公開です。これはすごかった。はじめて友達同士で映画を見に行ったのは,この映画です。当時のショッパーズプラザ横須賀内の映画館は,幕間の入れ替えが不十分なんですね。なので,入場券を買って1回場内に入ってしまえば,あとは見放題ということも可能だったわけです。
はじめてもののけ姫を見た印象は,「なんだかよくわからないけれど,とてつもなくすごい映画だ。」というものでした。よくわからないのでもう1回見ると,やっぱりよくわからないのでもう1回見ます。よくわからないならもう見に行かなきゃいいんですけど,見に行きたくなる何かがあるんですね。気付くと劇場で12回見ました。それくらい虜になった映画でした。そして,その印象は,20年経った今でも変わりません。
そう考えると,私にとっての人生の晴れ上がりというのは,この1997年だったような気がします。それまでの人生の記憶はとても曖昧ですが,もののけ姫を見に行った後の記憶は比較的鮮明です。私はその時,はじめて自らのリベラリズムに気付き,その方向に進むような人生の方向へ舵を切ったのだと思います。
モアーズ開店時の記憶は,ひどく曖昧です。モアーズができる前に,あの場所に何があったのかも全く覚えていません。ただ,当時から中央のヤマハ小林楽器店に通っていた私にとっては,浦賀に住んでいた同級生よりも中央を身近に感じていたことから,モアーズの開店時からよくお店に行っていたように思います。
モアーズのポイントカードは,満12歳からしか作ることができないのですが,モアーズ横須賀店が開店した1997年10月1日は,誕生日前でしたのでまだ11歳でした。この時の悔しさは忘れられません。
さっきから何の脈絡もなくモアーズ横須賀店の話をしていますが,今年はモアーズ横須賀店開店20周年です。10月1日の開店日には,超絶怒涛の値引きやポイント増額など,大盤振る舞いもいいところ,しまいには先着順でお菓子がもらえたりとお祭りと呼ぶにふさわしい一日です。
モアーズが開店した1997年からしばらくの間は,週に2回ヤマハに行っていましたから,たまに本屋を覗いたりしていました。しかし,お金のない私はそのうちモアーズに行かなくなり,ポイントカードが失効してしまう羽目になります。いやぁ痛恨のミス。
2001年。私は神奈川県立横須賀高校に入学し,横須賀中央経由で高校に通学するようになります。そうなると,学校帰りにどうしてもモアーズに寄りたくなるものです。心は青春まっただ中。お小遣いも中学生の頃よりは増えている。雑誌を買ったりCDを買ったりいろいろしたい。ミスドでいつまでもカフェオレをお替りしていたい。ゲーセンに行って連ザやエゥーゴvsティターンズをやりたい。その全てが揃っているのがモアーズでした。
高校を卒業すると,東京市ヶ谷にある大学に通うようになりますが,やはり横須賀の人間には都会の空気が華やか過ぎて,どこかで息抜きをしたくなるものです。じゃあどこで息抜きするか。正解はモアーズです。ただし,当時のモアーズは夜8時に閉店していたので,5限の授業を終えて帰ってくると間に合わないのです。じゃあどうするか。5限の授業に出なければいい。出ないとどうなるか。4年生で40単位を取る羽目になりました。
その後,私は東京目白にある大学の大学院に通うようになりますが,常に規則正しい生活を心がけていましたので,平日は決してモアーズに寄らず,月末のいつも買っている雑誌を買う時だけ,モアーズに寄るようになります。この頃になると,5階にあった電気屋が撤退して古着屋とスーツ屋になったり,6階のCDショップが7階に移動して跡地が靴屋になったり,店舗レイアウトが様変わりし始めます。この頃は,いまはなき平坂書房の漫画コーナーに行って,「さよなら絶望先生」の単行本を買うのが楽しみでしたね。作者の久米田先生は,横須賀出身です。
大学院を卒業した年に司法試験に合格し,そのまま西の果て長崎県に赴任することになります。モアーズライフとのしばしの別れです。長崎では,夢彩都・アミュプラザ・ココウォークをはしごして,モアーズライフと同じような生活を送っていました。当時は,はじめての一人暮らし・はじめての仕事・はじめての大人の付き合いなど様々なストレスに見舞われ,それをショッピングで解消するという堕落した生活を送っていました。あのことにもっと貯金ができていたらなぁ。いや,あのときの散財のおかげで,死なない程度のお金の使い方を学びました。
修習終了後は期せずして地元横須賀に戻ってくることになり,その後独立開業して今に至ります。いま,事務所の脇を小泉進次郎候補の選挙カーが走り抜けていきました。戻ってきてしまったことに少し恥ずかしさは感じていますが,地元っていいものですよね。そうでなければ,モアーズ横須賀店開業20周年にも立ち会うことができなかったかもしれませんしね。
さてさて,それでは今から10月1日に買ったスーツの受け取りに行ってきましょうか。次に皆様にこのブログで会えるのは来週か再来週かはたまた来年か。
投稿者:
アピってなんぼの人生
2017.04.30更新
期せずして9連勤を達成している今日この頃,連休で道が混んでいることがこんなに腹立たしく思ったことはありません。
裁判所の決定が出るまでの間,しばしお付き合いください。
最近こんなお電話をいただきました。
「先生のHPを拝見したところ,交通事故に注力されているとのことでしたので(以下略)。」
えーっとですね。こんなことを申し上げるのは気が引けるのですが,正直に申し上げます。
別に交通事故に注力はしておりません。
もっと言えば,離婚に注力しているわけでもありませんし,相続に注力しているわけでもありません。
非常に雑多な事件を扱っておりますので,何か特別な分野に特化しているわけではありません。
これは,ホームページの作成上仕方がないところがあるのでしょうが,私自身はセールストークをすることが好きではありません。
ましてや,「○○の事件は重点的に取り扱っております。」とか,「○○の事件をお任せいただければ必ずお力になれます。」というセリフはたぶん言ってこなかったと思いますし,今後も言うつもりはありません。
私の使命は,甘い見立てで危うい橋を渡りそうになるよりは,石橋を叩くようにアドバイスすることだと思っています。
私の事務所は,市街地の中心部にあるわけではありませんし,郊外にあるくせに近くに駐車場がない点は皆様にご負担をおかけして申し訳ないと思っておりますし,事務所自体がまんま民家でさらに靴を脱がないと上がれない作りになっていて心苦しく思っておりますし,競争力という意味でははなはだ脆弱であると自覚しています。
さらには,いつまで経っても大人の風格が出てくる様子がありませんし(体が大きくなっているのは自覚しています。),日本の最難関大学を出ているわけでもありませんし,笑ってないのに笑っている風に見えて闘争心がないように思われるのも知っています。
では,私がアピれるところは何か。
それは,「弁護士相手だからって全然緊張しなくていいんだよ。」ということです。
私の人生は運と愛嬌だけで乗り切ってきたところがありまして,少なくともピリピリした空気を出すことはめったにないと思っています。
弁護士の先生は優秀すぎるせいで,どうしても抜身の日本刀みたいになってしまうことがありますが(私自身もビビってしまうことが多々あります。),私はちゃんと鞘に納めてますのでご安心ください。
そんなこんなで,先程連絡がありました。
勾留請求却下です。
検察官は準抗告しないそうです。
いえーい。
当事務所は,刑事事件に注力しております。
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