坂本弁護士事件と私

2015.11.04更新

 こんにちは。

 弁護士の角井です。

 

 事務所で仕事をしていたところ,横浜弁護士会のメーリングリストが目に留まりました。

 今日は,坂本堤先生の命日です。

 

 坂本先生は,横浜弁護士会の大先輩であるというだけでなく,横須賀高校の大先輩でもあります。

 「坂本弁護士事件」当時の記憶はありませんが,地下鉄サリン事件などの一連のオウム報道は鮮明に覚えています。

 まだその当時は,自分が横高に進学するなど,はたまた弁護士になるなど夢にも思っていませんでした。

 

 坂本先生と直接面識があるわけではむろんありませんが,私にとって坂本先生は何かにつけて意識せざるを得ない存在です。

 坂本先生が亡くなられた年齢に近づくにつれ,その思いは一段と強くなっています。

 

 朝日新聞の神奈川版では,「青春スクロール 母校群像記」という連載が行われています。

 我が母校である横須賀高校も取り上げられましたので,その頃は毎週欠かさずチェックしたものです。

 

 その中に,坂本先生について記載された箇所があります。

 少し長いですが引用します。

 

 

 『横須賀高校(以下,横高)の卒業生で決して忘れてはならない一人が,弁護士の坂本堤(故人,75年卒)だ。オウム真理教被害対策弁護団の活動をしていた坂本は1989年,教団幹部らによって妻と1歳の長男と共に殺害された。

3年間,坂本と同じクラスだった元横須賀市部長の森山武(57,75年卒)は「筋を通すけれど気さく。おちゃめな男だった」と振り返る。最後の体育祭では「緑」チームの団長に。

「個性の強いクラスをまとめられるのは彼だけ。みんなに慕われた」。命日に合わせ,今も11月3日には同級生らが集まる。』

 

 

 私が弁護士になったときに,弁護士会による新人研修がありました。

 その時のテーマは「業務妨害対策」。担当講師は,滝本太郎先生でした。

 滝本先生は,坂本先生と一緒にオウム真理教被害対策弁護団の活動をされ,ご自身もサリンをかけられるという被害に遭っています。

 

 その研修の最後に,滝本先生が次のようなお話をされました。

 「坂本やその家族が今もいる場所が日本に3つある。一つは,北鎌倉の円覚寺松嶺院内,一つは,弁護士会館内,一つは,長野・新潟・富山の三現地である。」

 私はその話を聞くまで恥ずかしながら知らなかったのですが,日本大通にある横浜弁護士会館1階には,入り口を入ってすぐのところにある柱に,坂本弁護士事件のプレートが設置されています。

 

 坂本先生が事件に巻き込まれたのは弁護士登録3年目のことでした。

 私ももうすぐ3年目に突入します。

 日々の案件処理で心をすり減らすことも多いのですが,坂本先生が見られなかった景色を見るためにも,慎重に案件処理にあたっていく所存です。

 

 あともう一つ。

 人の肉体は,「死」という生理現象によって失われますが,人の精神は人々に語り継がれることによって存続します。

 坂本弁護士事件を知らない世代がますます増えていく中,私一人でも語り継いでいこうと決意しています。

 あの事件は決して忘れてはならない事件ですから。

投稿者: アダジオ法律事務所

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