集団的自衛権の法的性質について

2015.06.15更新

 こんにちは。

 横須賀のアダジオ法律事務所の弁護士の角井です。

 

 私,「社会派」っていう言葉はあまり好きじゃないんですよ。

 使ってる言葉自体は何の変哲もないのに,口に出してみると何だか恥ずかしさを覚えるこの感じ。

 私みたいなほのぼのと生きていきたい弁護士にとっては,「先生のブログって社・会・派・ブ・ロ・グ!」なんて言われたら強烈なプレッシャーで生きていけません。

 だから最初に断わっておきます。この記事は,私の価値判断を含んだものではありません。

 法律家として,努めて客観的に法的性質を述べたものです。

 

 

・戦争/武力行使の禁止に至る経緯

 

 言うまでもないことですが,人間の歴史は戦争に始まります。世界史で勉強したように,古代メソポタミア文明やエジプト文明においても他国との戦争の記述は多く見られました。実際,世界最古の条約は,古代エジプトとヒッタイトとの間の講和条約であったという話もあるほどです。このような世界では,戦争が禁止されるという発想などあるはずもなく,この状態は近世にいたるまで続きます。

 

 近世ヨーロッパにおいては,宗教対立を原因とする戦争が多く起こるようになります。その際,ローマ法学者たちは,自らの戦争を法的に正当化しようとしました。これが「正戦論」と呼ばれるものです。特に,17世紀前半の法学者であるグロティウスは,戦争が許されるためには正当因(防衛・回復・刑罰)がなければならないと説きました。

 

 この考え方は,一見すると戦争に正当な理由を求めることにより,戦争を抑止する作用があるように思われます。しかし,実際にはそううまくいきませんでした。正当因の判断者が国際社会にいないことから,各国が自らに正当因があると主張して戦争を起こすようになります。その結果,19世紀になると,戦争を一般的に自由化し,起こってしまった戦争の中で交戦者を対等なものとみなす考え方が有力となります。

 

 このような考え方は,第1次世界大戦によって覆されます。甚大な被害をこうむったヨーロッパ各国は,戦争を一律に禁止する発想を抱くようになります。そして,国際連盟規約は,戦争を紛争の最終的解決手段としたうえで,平和的手段によって紛争が解決された場合には,戦争を禁止すると規定しました(同13条4項,15条6項10項)。しかし,この規定は,平和的手段が成功しなかった場合に戦争が起こる可能性を排除しきれないものであり,全面的な戦争の禁止が成されたわけではありませんでした。

 

 その後の不戦条約(パリ条約,1928年)では,戦争の全面的禁止が規定されましたが,紛争解決の手段が具体的ではなかったため,その実効性には疑問も多く,結果としてこれらの規定が守られることはありませんでした。

 

 2度にわたる世界戦争の惨禍の後に設立された国際連合では,戦争だけでなく武力による威嚇または武力の行使も含めて,全面的な武力不行使原則を規定しました(同2条4項)。この原則は,その後も友好関係原則宣言などにおいて繰り返し確認され,現在では国際慣習法上の原則になっていると考えられています。

 

 

・武力不行使原則の例外~自衛権~

 

 国連憲章は,武力不行使原則を規定しましたが,例外についても定めています。それは,①旧敵国に対する措置(53条1項,107条),②安全保障理事会による強制行動(第7章),そして③自衛権(51条)です。このうち,①は特殊な条項ですので,本稿での説明を省略します。

 

 ②は,国連が採用した集団安全保障体制に基づく措置を指しています。極めて簡単に言えば,潜在的な敵国も同じ国連というグループ内に包括し,その中で武力不行使原則を破った国が現れた場合,残ったすべての国でその違反国を攻撃するというシステムです。これは,第2次世界大戦が同盟国側と枢軸国側に分かれたことで起きたのだという反省に基づいたものです。集団安全保障体制を採用することにより,世界には常に一つの陣営(すなわち国連)しか存在しなくなることから,理論上は世界戦争を防ぐことができます。

 

 しかし、実際には東側諸国と西側諸国によって長い間にわたり冷戦が行われ,所々で「熱い戦争」も起きてしまいました。

 

 では,戦争がなくなったはずの世界において何故再び「戦争」が起きているのか。それを読み解くカギが③自衛権です。ここで規定を確認しておきましょう。

 

 国際連合憲章第51条

「この懸賞のいかなる規定も,国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には,安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間,個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。(以下略)。」

 

 この規定は,明確に武力不行使原則に対する例外を認めていると同時に,集団安全保障体制に対する例外ともなっています。それは何故なのでしょうか。

 

 国連は,②集団安全保障体制によって戦争の発生を抑止しようとしましたが,実際には安全保障理事会(安保理)の決議がなければ実行することができません。その間にも攻撃は続けられているわけであって,じっと待っていたのでは国が滅亡してしまうかもしれません。そのため,安保理の決議がなされるまでの間,国家に反撃の権利を与えたものがこの自衛権だと言えます。この意味において,集団安全保障体制が正常に機能していれば,国連軍の出動と共に自衛権を行使する必要はなくなるのであり,集団安全保障体制と自衛権は積極的に抵触しないはずです。

 

 しかし,ご存じのとおり,世界は第2次大戦後まもなく冷戦に突入してしまいました。安保理決議は,常任理事国の全会一致が原則であり,一か国でも反対すると決議が成立しません(拒否権の行使とも呼ばれます。)。そのため,正規の国連軍が結成されたことは歴史上一度もなく,自衛権の持つ意味は非常に重要なものとなったのです。

 

 

・集団的自衛権の由来

 

 集団的自衛権という言葉は,先程述べた国連憲章において初めて現れました。それまでの世界では,自衛権は自国のために行うものであり,他国の自衛を集団的に行うという発想はあまりなかったように思われます。そして,国連憲章51条に集団的自衛権が明記されたのには,ある理由があったとされています。

 

 国連は集団安全保障体制による世界の平和を目指していたため,当初の草案には集団的自衛権の規定は存在していませんでした(ダンバートン・オークス草案)。しかし,1945年2月のヤルタ会談によって拒否権の導入が認められた結果,安保理の機能不全が起こることが予想される事態となりました。

 

 他方,国連憲章には,地域的国際機構を認める規定があり,「地域的取極」と規定されていました。その規定には,「いかなる強制行動も,安全保障理事会の許可がなければ,地域的取極に基づいて又は地域的機関によってとられてはならない。」と定められており,このままでは地域的取極に基づく強制行動が拒否権発動によってできなくなる事態が想定されました。

 

 この事態に至り,ラテンアメリカ諸国が集団的自衛権の規定を導入することを強く主張し,サンフランシスコ平和会議によって集団的自衛権の規定が挿入されたと伝えられています。このような立法経緯に照らせば、集団的自衛権が国家固有の権利だとするのは一種のフィクションであったと考えることができます。

 

 その後,集団的自衛権を基礎として,西側諸国による北大西洋条約機構(NATO)と東側諸国によるワルシャワ条約機構(WTO)は激しい対立を続け,冷戦の終結までの間,世界は二分され続けました。アメリカは,ラテンアメリカにおける共産主義との戦いを名目としてニカラグアに侵攻しましたが,その際に使われた根拠も集団的自衛権でした。このように,集団的自衛権は,集団安全保障が作動するまでの間の保全的措置として導入されたものでしたが,現在では同盟体制の復活とも呼べる現象を実現させています。

 

 

・結びに~国際法概念からの考察~

 

 集団的自衛権は,既に述べたような経緯に基づいて創設されたものだったため,様々な問題点が指摘されています。その中でも最も深刻な点は,集団的自衛権の発動要件が不明確であるという点です。

 

 ただでさえ,他国を防衛するという考えからは分かりづらく,どのような場合に自衛権を発動してよいのかが判断できません。また,集団安全保障体制であれば,安保理という判断権者が明確ですが,集団的自衛権は同盟国の主観的な判断になりやすく,安易に武力行使がなされる危険性が高いと言えます。

 

 現在我が国における集団的自衛権の問題は,国際法の観点からだけでなく,憲法上の問題や人権法上の問題についても考察する必要があり,この場でその可否を結論付けることは困難だと考えます。

 

 しかし,仮に,今般の議論が「集団的自衛権は各国固有の権利なんだから,我が国も使えないとおかしいだろう」という議論なのであれば,それは違うんじゃないかなぁと苦言を呈しておきます。

投稿者: アダジオ法律事務所

page top